白山堂奥磨崖仏
釜利谷から白山道を進んで関東学院方面に進み、関東学院へと続く坂に登って行かずに真っ直ぐ住宅街に入っていくと「白山堂奥磨崖仏」があります。
気付きにくい箇所に看板が立っています。看板は目立ちにくく、二度目に行ったときに看板があることに気づきました。
白山社は白山堂とも呼ばれ、南北朝~室町時代には称名寺の管理下に置かれ、その末寺となっていました。
堂社の旧位置は不明ですが、北条氏が鎌倉と金沢の称名寺とを山越えに往復する古道が、この辺りを通っていたことは疑いありません。
この古道は「白山道」と呼ばれ、鎌倉時代後期に瀬戸橋ができる以前は、鎌倉と称名寺の往復に使われていました。
この山腹に刻まれている摩崖仏は、その旧跡を推定するための好資料であり、周囲が削平されていますが、現存顔面長4メートル、中世末期の彫刻です。
また、応仁年間(1468)に鎌倉大塔宮からこの地に移った白山東光寺に関するものとすれば、御姿は薬師如来をかたどったのでしょうか。
そして、この看板の裏を見ると、「背後の崖の中断に見えるのが白山堂奥摩崖仏です」の文字が・・・・・・。
そのまま背後を振り返ると・・・・・・。
・・・・・・。
あれ、どれだろう・・・・・・。
釜利谷の地区センターや図書館に行ってみましたが、どうやらこれであっているらしいです。
その後、郷土資料も調べてみましたが、誰が作ったかハッキリとは分からないようですね。
六浦―原宿線沿いにある「鼻欠け地蔵」と同様に長い間に風化してしまいましたので、看板がなければ気付かないと思います。
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