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鎌倉権五郎景正の逸話

鎌倉権五郎景正の逸話

鎌倉権五郎は、鎌倉では有名ですが、世間一般にはあまり知られてないようです。

鎌倉権五郎景正が有名になった事件は、源氏に従って秋田県横手市にある清原氏の金沢柵を攻めた際に起こります。

 

前九年、後三年の役

 

当時の権五郎は、16歳くらいと若いですが、武勇に優れていたといわれています。

そして、金沢柵を攻めていると、敵が放った矢が権五郎の右の眼に突き刺さります。権五郎は眼に矢が突き刺さってもひるまずに相手を追いかけて討ちはたし、その場で倒れ込みました。

それを見ていた仲間の三浦為継が、それ矢を抜いてやろうと権五郎の顔に足をかけると、権五郎は寝たまま刀を抜いて為継に襲い掛かります。驚いた為継は「何するもの」と権五郎に言うと、権五郎は「弓矢に当たって殺されるのは武士の習いであるが、生きているうちに足で顔を踏まれるのは我慢ならない」と言って言い返します。

それを聞いた周りは少年なのにすごい気迫と驚いて感心したといいます。

 

関東武者の鑑

これによって鎌倉権五郎景正は、関東武者の鑑といわれ、後には神社で祀られるようになります。

後に出てくる大庭氏、梶原氏は、権五郎の子孫といわれています。

 

 

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