横浜の山手近辺に用事があったので、外人墓地周辺を散策しました。

横浜山手の「外人墓地周辺」は、かながわの景勝50選に入っています。

景勝地に「墓地」っていうのは違和感を感じますが、横浜の「外人墓地」の歴史は江戸時代にまでさかのぼるほど古いそうです。

山手は、横浜の開港後に外人の居留地として発展してきましたので、「外人墓地周辺」は洋風の建物が立ち並ぶ洒落たエリアです。

また、山手一帯は神奈川県で一番高い住宅地としても有名です。

不動産は高いのですが、賃貸として貸し出した場合は外交官やお金持ちの外国人が好んで借りてくれると不動産投資家からも人気のエリアです。

 

外人墓地へは根岸線の「石川町」で降りて向かいました

かながわの景勝50選にも選ばれた「外人墓地周辺」の最寄り駅は、みなとみらい線の「元町・中華街」ですが、私は根岸線の「石川町」で降りました。

「外人墓地」は、「元町公園」と隣接するみたいだったので、途中で「霧笛楼」に寄ってから「元町公園」を目指しました。

途中で煉瓦の建築物のトイレがあったのですが、よく見ると「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」の遺跡の看板がありました。

フランス人の「ジェラール」という人が経営していた日本で最初の西洋瓦とレンガの工場跡があった場所のようです。

 

他にもジェラールは、貯水施設を作ってこの地から湧く水を船舶に送り、販売したそうです。

 

他にも関東大震災前の唯一現存する外国人居宅の遺構が残されてました。

かなり破壊されてましたけど、相当大きな地震だったのでしょうね。

 

生糸貿易商社シーベルヘグナー商会で活躍したスイス人、フリッツ・エリスマンという人の家らしいです。

 

 

 

そのほかの公園内の様子です。

 

 

「山手資料館」は、「貝殻坂」の上の入り口の石碑がある向かいにあります。

縄文時代の貝殻が出土したことから貝殻坂と付けられたのだそうです。

「山手資料館」の外観。

 

外国人墓地の歴史

外国人墓地にある案内によると、この地に外国人の墓地が集まったのは「ペリー一行の乗組員を葬ったのが始まり」みたいですね。

「もと増徳院の境内であったこの地は、安政元年(1854)2月、日米和親条約(神奈川条約)をむすぶため来日中のアメリカ使節ペリー一行のうち、客死した海兵隊員を葬ったのに由来し、横浜開港後、居留外国人の葬地となった。生麦・井土ヶ谷両事件の被害者を始めとし、明治初期、日本文化に貢献したワーグマン、モレル、ヘールツなどが眠っている」

 

 

かながわの景勝50選「外人墓地周辺」

かながわの景勝50選「外人墓地周辺」の碑は、山手資料館近くにあります。道を挟んで反対側には、外人墓地が並んでました。

石碑がたってる場所は、坂を上った高台にあります。

みなとみらい線の「元町・中華街」駅からだと600mくらいですが、坂を上るので10分くらいかかるかもしれません。

 

今は洋風の建物は珍しくなくなりましたが、「外人墓地周辺」はあたり全体の雰囲気が異国情緒あふれていて景勝地に選ばれたのも納得です。

当日も関西の人が観光に来てましたが、鎌倉よりも日本人観光客が多かったです。

近くの公園では、ベンチに座って読書している人や、絵を描いている人がいました。

 

 

外人墓地周辺は、高台なので場所によっては横浜の街が見渡せます。

高台からは「ランドマークタワー」も見えました。

「港の見える丘公園」、「山下公園」、「元町公園」等の公園も隣接

近くには、「元町公園」や「港の見える丘公園」があるので、家族で来ている人もいます。

また、少し歩けば「山下公園」もあります。

「港の見える丘公園」と「山下公園」は、きれいな夜景が見えるスポットとしても有名です。

 

 

 

少し足をのばして公園を回ってみるのもいいかもしれませんね。