能見台に用事があって行ったのですが、途中でトイレに行きたくなり、能見堂緑地にトイレがあることを思い出して寄ってみたところ、能見堂の看板が見えたのでついでに写真を撮ってきました。

以前、金沢八景の名前の由来について調べたときに、金沢八景の場所となった8か所は、明から渡来した東皐心越(とうこうしんえつ)という僧が故郷の瀟湘八景を偲んで作った漢詩が由来だということを知りました。

その漢詩は、能見堂から見た景色を瀟湘八景になぞらえたことがきっかけでできたので、いつかは写真を撮りたいと思ってました。

能見堂跡地の場所

最寄り駅は、京浜急行線の「能見台」駅か「金沢文庫」駅になります。

 

能見台不動池

能見堂へ続く道はいくつかありますが、私は能見台不動池の方から行きました。

その日は、雪が降っていて足元もぐちゃぐちゃでした。

不動池から能見堂に向かいます。雨降りの後だと結構すべります。

特に石段は転んだら大怪我につながるので、慎重に歩くのがいいです。

 

 

能見台不動池からだとそんな遠くはありません。

この地に能見堂が過去にあり、金沢八景の石碑があります。

 

金沢八景と能見堂

昔の金沢は、内海が当地の下まで入り込んでおり、ここ能見堂からの眺めは素晴らしかった。

東方には房総の山並みから江戸湾、湾に浮かぶ島々、平潟湾、南方には三浦半島の山々、そして、西方には霊峰・富士までが一望できたのである。

平安時代初期の宮廷絵師・巨勢金岡がここから金沢の景勝を描こうとしたが、内海の干満で時々刻々と変化する絶景に筆が進まず、ついに絵筆を松の根元に投げ捨てたとの言い伝えに因む「筆捨松」の伝説も残っている。

江戸時代の元禄の頃、中国出身の亡命僧・心越禅師がこの地を訪れ、ここからの風景が瀟湘八景に似ていたことから、「小泉夜雨・瀬戸秋月・洲崎晴嵐・内川暮雪・平潟落雁・野島夕照・乙舳帰帆・称名晩鐘」と題した金沢八景の漢詩を詠んだ。これが現在、我々が知る金沢八景の起こりといわれている。

この頃の金沢の地は鎌倉・江ノ島と一体となった観光地であった。そして、歌川(安藤)広重をはじめとする多くの絵師や文人墨客により「景勝地・金沢八景」が紹介され、多くの旅人で賑わった。また、このハイキングコースの一部は、当時、保土ヶ谷宿から金沢への主要道(金沢道)であった。

2009年9月 金沢区役所 能見堂跡地整備プロジェクト

 

 

 

 

能見堂跡

この場所には、明治初め頃まで「擲筆山地蔵院(てきひつざんじぞういん)」という寺院があり、能見堂と呼ばれていました。

「能見堂」の名が出てくる一番古い資料は、室町時代の文明十八年(1486)『梅花無尽蔵』で、これに「濃見堂」の名が出てくるので、この時代には能見堂があったことが分かります。古くは、濃見堂、のっけん同、能化堂などとも呼ばれていました。

しかし、始まりがいつかは不明で、江戸時代に書かれた『能見堂縁記』では、平安時代藤原道長が結んだ草庵を始まりとしています。

なぜ能見堂の名がついたのかと言うと、よく見える(能く見える)からとか、巨勢金岡(こせのかなおか)という絵師がこの景色を描こうとしたが、あまりの美しさと潮の満ち干の変化のため描けず、筆を捨てのけぞったから(のけ堂)とか、地蔵を本尊とするため六道能化の意味から取ったからなど、その他いろいろな説があります。

能見堂は、初めは小さな辻堂でした。また、それさえも無い時代がありました。それを、江戸時代の寛文年間になってこの地を領地とした久世大和守広之が、江戸増上寺の廃院であった地蔵院をここに移して再建し、寺院としての能見堂の歴史が始まります。

交通の要所でもあった能見堂は、眺望がすばらしかったので、その景色を中国の「瀟湘八景」に当てはめて、古くから人々は、「金沢八景」と呼んでいました。その事が、慶長十九年(1614)に書かれた『順礼物語』という本に出てきます。その後、心越禅師が能見堂に来て「金沢八景」の漢詩を詠んだ事で有名になっていきました。

多くの文人墨客たちもこの地を訪れるようになり、それを紀行文や詩、歌などに残し、絵師たちはここからの絵を描きました。また境内に碑なども建てられ、能見堂からは、案内図などが売り出されました。

図1は、天保五年(1834)に出版された『江戸名所図会』に描かれた能見堂の様子ですが、繁栄していた当時の姿を知ることが出来ます。本堂は二間半(四・五m)四方で、本尊は地蔵でした。大きな松は、巨勢金岡の伝説がある筆捨ての松で、その手前で望遠鏡から景色を見ている人もいます。

能見堂は明治二年(1869)に火事になり、その後住職もいなくなります。その上鉄道や他の道も出来たため、さびれて、訪れる人も次第に少なくなってしまい、そして今は、「金澤八景根元地」の碑などが、当時の面影を留めるだけになってしまいました。

 

2009年9月 金沢区役所

能見堂跡地整備プロジェクト

 

 

 

能見堂からの八景

明治時代の能見堂から金沢八景を望んだ写真

 

現在は、埋め立てでかなり印象が違います。

面影はあまりないと感じましたが、歴史的には重要な地です。